どうして普通学級なの? ―その5―もう1つの通園
山田晴子
息子の晶生(あきら)はダウン症で、26歳になる。幼いころからの歩みをたどって、休み休みだが連載をつづけていきたいと思っている。
前回までに書いたが、晶生が1歳から2歳にかけて、いろいろ疑問をもちながらF市通園施設に通っていた。ある日、新聞記事にKという会からのお知らせを見つけた。知的障害のある子どもたちの療育を行っているという。すぐ連絡をとり、晶生をおぶってKに出かけた。そこは小さな民間団体で、公営の親子教室の元指導者A先生が開いている所だった。A先生は、私の腕から晶生をとりあげてしっかり抱き上げ、「よくきたわねえ」と出迎えてくれた。先生の満面の笑顔が、今も目に焼き付いている。(心から可愛いと思ってくれている)と直感して嬉しさでいっぱいになり、Kに通うことにした。
Kでは、就学前のダウン症や自閉症や発達遅滞といわれる子どもたちが、遊びの中で少しずついろいろなことが身について行くように療育のプログラムが組まれていた。母子通園するが、子どもたちと活動するのはA先生とボランティアの方々で、親たちには2階の部屋でバザー用の小物づくりをしながら話をする場があった。
A先生はダウン症の子の療育について、私にこう教えてくれた。「障害のない子どもたちが例えば10回やれば覚えることが、この子たちはその10倍の100回以上かかるかもしれない。でも回数をかければきっと覚えていく。言葉が出ないとしても、内面に言葉は蓄積されている。そしてある日、時を得たときに表れることがある」私は勇気を与えられた。始めからできないと決めつけたりあきらめたりすることはない、またできるようにならなければいけないと思って焦ることもない、毎日ゆっくりと進んでいこうと思った。
またKでは保育園を紹介してくれることもわかった。A先生は統合された環境が必要という考えで、地域の保育園と提携してKの子どもたちがそれぞれの状況に合わせて通うことができるように、体制をつくりつつあった。私は未来が開けるように感じた。
このころの悩みの1つは身体が弱いことだった。晶生は心臓疾患があり、すぐ風邪を引き微熱が長びいて、見ていても苦しそうだった。そんなとき友人から民間治療(整体)を教えてもらい、その治療にも通い始めた。F市通園施設とKと治療と、7歳の長男浩樹(ひろき)と4歳の次男直志(ただし)を連れて晶生をおぶって、毎日のように通った。
こうした刺激の中で、晶生は目に見えて成長した。2歳を過ぎてようやくよちよち歩きができるようになり、手を引いて歩くことの喜びが心に浸みた。親も勝手なものだが、本人や周りの状況がよくなると、元気が出て意欲も湧いてくるのだ。(つづく)
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